小脇にパンと、チーズを挟むーぱり編ー
1ヶ月ほどヨーロッパに行ってきました。
役に立つかはわからないけど、覚え書きとして、旅の詳細を記しておきます。
特段準備はしてませんが、来る前にデヴィッドカードや国際学生証を作ったりしました。向こうでいちいち現金をユーロに替えていると手数料や税金がかかりますが、デヴィッドから自分の口座で引き出すと現金を持つリスクも少なく便利なのです。大抵口座があればオンラインで予約してもすぐ発行してもらえる。紛失も予測して最初から2枚カードを発行してもらえるところもあるらしい。ちなみに私はデヴィッド途中で失くして止めましたが、1万払って発行しても現金は引き出せなくなるので失くしたら意味もなくヤバいので、ヨーロッパに行くと決めてるならある程度のユーロの現金は替えて、分散して持つのがいいかなと思いました。まぁ私は現地の友達に助けてもらったり。
国際学生証はあると便利ですが、基本的に25か26歳までしか割引がきかないことが多い。1年しか使えないわりに結構発行料金高いよね。私はぎりぎり25だったので、ヨーロッパをまわるなら25までなんだなあ・・。現地の大学に居たらもー色々割引がききます、ほとんど無料で入れる。でも優しい人は入れてくれます。子犬のような目で「I'm student...」と呟きましょう。
あとは今回はSIMを買って行きました。ベルリンは地下鉄で公共のwifiが繋がるので比較的になくてもどうにかなる感じはありますが、今回はgoogle mapと電車の乗り換え、予約が出来ないとどうしようもなかったので、なんかあるかなーと思って調べて3GBのプリペイドSIMを2枚買って行きました。私は結構途中寂しさでネットみたりしてたので、メッセージと地図しか使わない人は1ヶ月3GBで充分だと思います。1つはThreeというイギリスの会社のもの、もう1つはAISというタイのもの。どちらもamazonとかで代行会社が売ってます。結論から言うとThreeの方が繋がりが良い。でもAISはヨーロッパじゃなくても色々な周遊SIM出していて、便利な会社です。ちなみにベトナムでは使えなかった。AISの場合日本でも繋がるので、行きの空港で入れていけます。パリで会ったせいはくんや谷口さんに教えてもらいましたが、フランスはFreeという会社のSIMが良いらしいです、参考までに。
兎にも角にもgoogle mapさまさまで、行きたい美術館や場所があるなら星つけときましょう。google mapの経路検索でほとんど乗り換えも調べられますが、実際の発車時刻とは違うことも多い。ドイツ交通のDBのアプリはまあまあ便利で他の国の電車も調べられます、あんまり使わなかったけど。それぞれの国が検索アプリ出してると思うので、調べて行くといいかもしれません、大抵の交通機関のWEBではenglishがあるので便利。とにかく国際路線の時刻表買う必要は無いです。
長距離の電車やバス、飛行機はGo Euroというアプリで一括検索できます。かつ、クレジットカードを登録して予約も出来ます。私はほとんどそれでやってました。基本的にはなんでも早めに予約しないとどんどん高くなります。
今回LCCに何回か乗るかもな〜、と思ってLCC機内持ち込みできるスーツケースで行きました。カリマーの。(しかもこれはいざとなれば背負えるの、でも実際背中のベルトを出してしまうのが激面倒で背負わなかったね。でも取り外せるリュックは便利でした)実際はニースからベルリン間しか乗りませんでしたが、easy jetのフランスの検査は超ゆるくて、全然液体物は持ち込めた。気負って検査前に泣く泣くシャンプー捨てたけど、捨てなくても良かったなー。easy jetは機内持ち込みの荷物のサイズは決まってますが、重量は無制限。会社によって違うのでめんどくさいけど予約前に色々調べてみてください。基本はチケットレスで、届いたバーコードを見せるんですが、LCCはパスポート検査がゆるかったです。長距離バスで有名なflixbusは何度か使いましたが、国境越えるときはパスポート検査に超〜時間がかかってました。安いから色んな人が乗ってるからか。降ろされてた人も居た。超気になってたんですがBla Bla Carって乗り合いの車みたいなのも検索に出てきてたんだけど、使ったことがある人はどうだったか教えてください。flix busはwifi使えていいんだけど、結構すぐ制限になっちゃうんだよなあ。
ちなみにドイツをメインにまわるつもりだったので、ジャーマンレイルパスのフレックスタイプを買って行きました。ユーレイルの公式で買うより代行会社で安さを謳ってる所の方が断然安いです。ジャーマンレイルパスはお得感があって、ベルギーのブリュッセルや、チェコのプラハ、スイスのバーゼル、イタリアのヴェネツィアなどにも行けます、、、が、私はミュンスターからヴェネツィアにパスで無理して行ったんですがキツかったー。ミュンヘンくらいから昼間に行くならいいと思います。夜20時に乗って次の日の15時半に着きました。笑 もちろん4本乗り換えで。寝台に乗れればいいのですが普通の席だと疲れます。基本ヴァリデートされたチケットだけで自由席にはいつでも乗れますが、国境越えるものや夜中に乗るものは窓口で予約してもらった方が無難です。混みます。予約料は4.5ユーロくらい。
アムステルダムからベルリンに帰る時も、バスでドイツぎりぎりのオストブリュックまで10ユーロくらいで行って、パスが使える電車に乗り換えました。
ハンブルグのみどりちゃんに教えてもらったんですが、ドイツは夏はサマーチケットというのがあって、4回電車に乗れて、90ユーロくらい。そんなに移動しないなら、そっちの方が安い。各国そういうのがあると思うので現地に居る人に聞くと◎です。
さて、出発の日に戻って。
7月24日に成田を出発し、ホーチミン経由で26日にパリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着。ベトナム航空で6万ちょっとの往復航空券。基本的にはいつも、Skyscannerやトラベルコなどで比較してとってます。でも旅の途中で教えてもらったのですが、VPNを使って他国からの検索で同じフライトのTAXがかなり違うそうで、日本からのアクセスで買うと7万の往復航空券がギリシャやイタリアだと、5万代であったりするみたいです。私も今度は試してみようと思いますが、詳しい方は是非。
安さにつられて買いましたが、ホーチミンでのトランジットの時間は結構キツかったです。夜中の到着で街にも出てもしかたないので、本を読んだり椅子に横たわって寝たりして過ごしました。ちなみにトランジットホテルも全然ないですが、ホーチミンにもハノイにも最近空港内にカプセルホテルが出来たので、ネットで予約して寝ることもできます。とはいえベトナムは一度目の出国から30日以内に入国するときはビザが必要になるので、往路か復路のどちらかしか入国できません。私は帰りのハノイで街に降りました。
去年末に2週間ベルリンに行った以外は全くヨーロッパの経験はなく、全くパリの地理がわからなかったので、booking.comで適当にホステルを予約。RERでGare de lyonに。基本的にヨーロッパの交通システムがそうですが、パリは電車もバスも共通のチケットなので楽。でもベルリンと違って時間制ではなく1回改札出たら使えない。私は一回大きな駅で改札を出る前にチケットを捨てちゃって出れなくて新しいチケットで出た・・。空港やヴェルサイユなどの郊外に行くときだけ料金が違う設定なので注意。空港の券売機は鬼混んでるのでパリから帰るなら往復買っときましょう。何処でも、2、3日以上滞在するなら複数枚買っとくといいです。ここは空港だったり、フランスの各地に行くときの発着だったり、中央駅のような駅。私のホステルはそこの近くで、バスティーユが近い。
とにかく今回わかったのは私は超ホステル苦手。仕方なく泊まってましたが、夜中騒いでるバックパッカーの男の子たちとリビングで話さなきゃいけないのは苦痛。頼んでもないのにギターとかひかれちゃって。クッキーとかもらっちゃって。そういうの好きならとことん楽しいと思います。旅の最後のパリでは、ポンピドゥーの近くの、共用のバスルームで個室がもらえるホテルに泊まりましたが、そこは鍵を自分で持ってくシステムなので、まるで住んでるみたいに気楽に出入りできて楽でした。
パリは小さくて、歩くのも電車に乗る時間も短いし、さくさく動けます。行きは気負ってたけど、スリには普通に自分の持ち物を置き去りにしたりすぐ開けられるような鞄を背中に回して持ったりしてなければそうはあわないでしょう。でもそれが日本人には難しいところで。フランス語が堪能な知り合いも「コインを落としたから拾って」と言われた隙に盗られたり、巧みに騙されてたので、当たり前だけど妙にフレンドリーな他人には気をつけましょう。ミュージカル映画の「シカゴ」で、女囚の監察のママが「When you good to mama, Mama's good to you」と歌ってますが、自分が思ってる以上に、相互的な関係が当たり前なんだなと渡欧で感じました。これに関しては自分は良いとは思わないけど、事実として。
夏は22時頃まで明るく、つい外に居ちゃうけど、20時でほとんど色々な店が閉まる。とにかく行きは、寒いことに驚いた。アムスやブレーメンでは凍えて、服をかしてもらいました・・夏でも長袖、アウター持って行くことはおすすめします。
パレドトーキョーではジオラマ展と、VRの展示、若手のアーティストの紹介。ジオラマ展は最初はワケがわかんなかったですが、ジオラマって、舞台装置ってなんだろって、よくよく考えれます。その隣の私立美術館での、「ドラン、バルテュス、ジャコメッティ」の同世代3人展は良かった。ドランはほんとに、なんつうか山下清的な変わった人だなと思いました。バルテュスは東京での大きな展示を見れなかったので見れて良かった。バルテュス見てると、おしっこを我慢してる小さい女の子のイメージがいつも出てくる。ジャコメッティはドローイングや絵もわりとあって、SFっぽい。妙に劇的な展示構成みたいにはなってないのが良かったです。
もう一つビジュー展がやってて、装飾品の歴史や、ヴィヴィアンとかのビジューコレクション展示やってたのですが、面白かった。
パレドトーキョーやポンピドゥーでも見れますが、パリはスペースインベーダーのグラフィティが超見れます!面白い。撮影忘れちゃったけど、最後の滞在のホテルの近くではストファイの春麗とキャミィがキスしてる作品があって超良かった。
ルーブルは朝行ったらそんな混んでなかったです。どうも、地下の商店街のところのルーブルの列に並んでるときに、よくスられるらしいので注意。ルーブルは確か割引はない。ニケも感動したけど、イタリア絵画のコレクションが良かったです。モナリザは、モナリザの前で写真を撮る人混みを眺めることに努めましょう。
ポンピドゥーで望遠撮影で有名なウォーカーエヴァンズと、ホックニー展、コレクションを見ました。ポンピドゥーのコレクションは多いので、時間とって行った方がいいですが、ポンピドゥーはいつも22時までやってるし、木曜はどこの美術館も長くやってます。ホックニーは62年くらいのはじめの絵をはじめて見て、むちゃ良かった。エヴァンズの有名な望遠撮影の写真のモデルの女性のインタビュー音声とかがあって興味深かったです。
オランジュリーとオルセーは、チュイルリー公園で朝散歩したり、川辺を歩いてから行くと気持ちいい。チュイルリーではフランス語の先生をやってるというおじさんに話しかけられて、モンマルトルに行くことを薦められ、最後手をそっと手を握られた。オランジュリーは人も少なく心地いいです。ちょうどブリヂストン美術館との交換展示をやっていました。オルセーはマジで作品の数も多くて疲れたけど、クールベやマネを見れて感激した。企画はセザンヌのポートレイトでした。人はほんとに多い。確かレストランで一人でランチを食べました。
パリは美術館の料金安いなと思う。そして大抵wifiが飛んでます。ピカソ美術館だけは、割引で入れてくれなくて(多分スタッフによって、ヨーロッパ圏の学生じゃなくても割引してくれそうですが)高かった。ピカソは、眠る人と起きている人の対比の絵が好きなんですが、アンティーブで見たときもなかったなあ。でもマリーテレーズと一緒に居る頃の、ピカソのミノタウロス(雄牛)があからさまにマリーテレーズがモチーフの若い女を陵辱してる絵が沢山あって、見てて恥ずかしくなるほどの絵なので面白いです。風景画が面白かった。
ギュスターヴ・モロー美術館は小さくてあまり人も来てない。日本語の展示説明書がありました。受付で草の匂いがして、ニコニコした若いムッシューが3人くらい居て、タダで入れてくれた。モローはマジで変。レイヤー使いがヤバい。面白かったです。
今回はヴェルサイユには行けず。
帰りに、ブローニュの森にあるルイ・ヴィトンの美術館に、ボザールに交換留学する谷口さんと行きました。谷口さんとはチュイルリーで待ち合わせて、すれ違って、1時間会えなくて、感動の対面だった。谷口ちゃんは、私よりもお小さいので、人混みは大変そう。
ヴィトンは広くてとても綺麗。人も優しいけど、閉まる頃には即追い出されます。笑 そんなこんなで終わり間際に行ったので、あまり時間はかけられなかったけど、アフリカ系のアーティスト特集でした。この旅の中で、アフリカに関するアーティストはどこでもよく取り上げられていたなと感じます。
帰りのパリで、火曜日、ギャラリーも美術館もやってないので途方にくれてモンマルトルに行ったけど、絵描きが観光客の似顔絵を描いて儲けてます。私も声をかけられたけど、「多分私のほうがうまいよ」と笑って意地悪しました。
それでせっかくなので、アメリに出て来たカフェドゥムーランに行きました。まぁ〜ムッシュの愛想が激悪です。クレームブリュレはカルダモンがきいててとても美味しい。
ヨーロッパでは基本、カフェでサンドイッチを食べたり、ビオマーケットでパンとチーズを買って挟む・・・ということを繰り返していました。友達の家に泊まる時は友達の家で食べたり、レストラン行ったり。自分で料理が出来るときは最高に幸せ、ストレス発散になる。最後、せいはくんとポンピドゥーの横のカフェボブールに行ってランチしましたが、そこはとてもサービスが良かった。高いからかぁ〜。
7月終わりはどこもセールで、色々買うならいいですが、夏はヴァカンスでギャラリーもクローズ。今年で閉まるらしいcoletteにも行ってきた。小さいよね。クレージュの可愛いトレーナーを買った。
ところで私はランジェリーが好きなので、パリに来る目的の一つには下着を見に行くことだったんですが、fifi chachnilのアトリエに行きました。fifはカタログ出してないらしい。ヴァカンスでアトリエ以外は閉まってます。fifiはワンピースとかもかわゆかったのですが、何せ高額なのと、それにしてはいまいちパターンが良くない印象です。XSでも私には大きく、なんかウエストからの広がりがいまいち。。ロリータの頃、ロリータブランドに感じてたことと似た気持ち。行ってないけどマレ地区にDoll houseというセレクトショップもあり。デパートのランジェリーコーナーはほんと充実。でもやっぱり行きの7月末のセールで買えば良かった!!それでもやっぱり日本で買うよりは安い〜(高いけど)
ちなみにベルリンではlove storiesの路面店にだけ行きました。そこで水着を買ったり。日本で買ったショーツと同じ柄のトップスを揃えられて感激。loveは元々安いですが、ぎりぎりセールだったので、すごおく安かった!フェティッシュなボンテージとかのショップにも行って見たかったけど行けなかったな。。
デザインもですが、パターンの良さが気になります。着けた時に、自分のからだがより美しく見えるもの、着けていて心地よく、着けていたいと思えるものが好き。その点はやっぱりAubadeはすごいなあと思いました。一枚生地で、なんであんなに安定して胸が丸く綺麗にみえるんだろう。chantalは、合う形のもの以外は全く合わないのと、やっぱりデザインによって同じコレクションでも好き嫌いが激しい。fifiはショーツは買いましたが、どうもパターンが良くないイメージ。私の日本人的な平らな体型に合わないのかな。cosabellaはいつもブラレットが気になるんですが、いまいち芋なデザインだなと思ってるんですが、着けたらかわゆいのかもしれない、今度着けてみたい!le petit trouは人気だけどなんか私はぐっと具合がそこそこ、ベージュのドットチュールは可愛いと思う。ニュージーランドのlonelyとか、アントワープのlove storiesはいつも良いな〜と思います。他のも色々あったけどサーっとしか見れませんでした。この前ペコで買ったCuddleは見てみたかったな。ああもっと色々知りたいし見てみたいし着けてみたい。
とりあえずパリのあとは南仏はアンティーブにいき、ベルリンに飛びます。それは次の記事で。
「キレる私をやめたい」を読んで
Like a 絶望みたいに
邦楽hip-hopでたまに「Like a ◯◯みたいに」という表現がある。
頭痛が痛いと言っているようなもので、なんだそれって感じである。
しかしdarlingやhoneyが訳せないように、Like aからの、みたい、は多分グルーヴ的に必要なものなんだと思う。
意味を求めて無意味なものがない、と坂本慎太郎も歌っているが、フィーリング、気分、は現象よりも重要なことなきがする。
ベルリンに来て、日本で起きた(という表現も怪しいものだ)7時間をこれから暮らしている。
約束や目的も、すべて紙の上でのことのように感じる。
多分それは自分も他人も、Like a ナントカみたいに生きているからではないだろうか。Like a 美大学院生みたいに生きていて、時空の歪みを感じて宙ぶらりんになっている。このまま帰りたくないな…と高校1年のときオーストラリアに留学したときは思っていた。
それはやっぱり、旅行者という立場がLike a ナントカを忘れさせてくれるからだった。
私はただ遊んでいる阿呆である。しかし周りはどうなのだろう?
阿呆ではないのだろうか?とゆうか阿呆の他になにがあるのんのん?ピッツァを改札に優しくタッチ。
というかんじになって、数年、仕事とかのことを考えている。
Like a 仕事みたいな仕事。病気みたいな病気。
話は飛んで、ベルリンは寒い。寒い、暗い、黒い。
それもたまにはモードな黒い人もいるけれど、ただただ黒いのである。
北欧のテキスタイルや性文化が盛んなのは、寒さ、長い冬、長い夜、が関係あると思うの(日本の東北や性の話もしたいけどまた今度)だが、何故かそういう気配がない。
一体何がそんなに黒くさせているのかわからないが、ベルリンに来て6日目、今日はやっと、空が青いことを思い知るような晴れの日だった。
コンスタントな絶望の中でまさに光り輝く1日であった。ガスヴァンサントの映画であった。
みんな寒いけどテラスでお茶を飲む。
ベルクハインに着て行った、アイスバーグの黒いワンピースを脱いだら、バスルームの白いタイルに映った肌色が綺麗だった。
ベルリンの人たちは、喪服の絶望から抜け出して、Like a 絶望みたいに毎日を過ごしているのかもしれない。たまさかの光のために。
時計をスクラッチ
最近はもうどうでもよくなった。
正確に言えば、どうでもいいと思うように思うようにしている。
なかなかできないことは、形からはいるように
運動するときジャージを着る、みたいな気持ちで。
Penの歌謡曲特集を読んだ。
読んだっていっても、さらさらと読んだ。いつもそうだ。
松本隆のインタビューが面白かった。
90年代に意識的に筆を置いたこと、その理由について簡潔に語られている。
色々納得したけれど、
自分と時代があわないとき、無理にがんばったってすり減るだけなんだ。
というようなことが書いてあって、はっは〜ん、と鼻を鳴らした。
時代
を考えるときはいつでも
思い浮かべるシーンがいくつかある。あの時代、この時代。
1991年に産まれた私たちが考える時代ではなく、私の個人的な時代を考える。
上京して大学に入ってきたとき、ゆらゆら帝国が解散したばかりだったので、自己紹介のときにゆらゆら帝国の話をした。「自分の好物はあんこでね」なんて話すように、自然に話ができた。顔にいつでも靄がかかっているように、とろりと18までを過ごしてきたけど、はじめて空から光が差しているように思えた。4月3日に引っ越してきた日、オシリペンペンズをはじめてUFO clubに観に行って、終わってもスピーカーの前でDJを聴いていたら、はじめて東京で、女の人の友達ができた。一つ上で、隣町で、嬉しかった。それだって水を飲むみたいに自然に出来た。
思うことが自然にできるなんてそれまで思っていなかったので
ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけていたのである。おほほ。
この前静岡に帰ったとき、とても懐かしく思った。
確実に当時よりも穏やかな気持ちで町を歩けている。住めるような気さえしている。
それなのに何故か右手と右足を同時に出して歩いてしまうような、息詰まる気持ちがあった。どこか緊張してしまうのだ。
やはり東京の自分の家に帰りたい。帰って人目を憚るような映画でも観たい。
特にそれが、通っていた美術予備校に行ったときに感じた。
私は中学1年生から3年までそこで夜の児童部という怪しげで素敵な名前のお絵描き教室に通い、高3の1年間は受験部に通い、随分お世話になった。恥ずかしいことも楽しいことも切ないこともある。あるとき学期末の懇親会に持って行った作りたてのミルクレープを大掃除で古いものと間違えられてホールで捨てられたとき、悲しかった。笑い話である。
悲しかったことを思い出して、悲しさがまるでもうなくて、いい思い出になってしまうのは、面白い。何故かエモい、中身はないのに。
いつだか、ここはもう私の帰ってくる場所ではないのだ、と感じたときがあった。
それでも昔の出来事は変わらないから、避けることもないと思って帰ってみるのだが、なんとなく自分は芯のところは変わっていないのに、変わってしまったような気持ちになる。
きっとどちらも少しずつ変わっている
その時代、そのときの私が居た点は、今も変わらずあるだろう。
戻れないからただ単に遠くみえているだけかもしれない。
この話を人にすると、「居場所がない」という話になるけれど、私は別に帰る場所がなくったって構わない。帰る場所なんかないと思う。
ああなんか疲れるな、あわないな、と思うことはほとんど毎日だが
だからといって自分が好きなものだけで毎日を生きていくことができないことはもうわかった。ネットが普及して、知らなくてよかったことも耳に目に入る病んだ時代だというけれど、別に昔だってそうだった。病んだ事実はいつでも側にある。
いつか時代と自分の交わりに立つとき、そのとき、心地よく感じるかもしれない。
ここが自分の居場所みたいに思うかもしれない。
〜せねばならない ということはないような気がする。
時計をスクラッチして元に戻してみても、いつかまた針が戻って来る。
なので気楽に待とう。ナイフを磨いて。
天使をゆっくり寝かす夜
最近全然寝れてない。
いや、昨日の夜は12時くらいに帰ってきて、着替えもしないで朝10時くらいまで寝た。べらぼうなドカ寝。
のにひどい頭痛、近頃はなぜか眠いときに必ず頭が痛くなる。
自分が二人居たら自分にココアを飲ませて絵本か詩を読んで、ナデナデと寝かしつけたいところだが、実際は猫2匹を左脇と股の間に挟んで寝かしつけている。
猫は暴力的に愛らしい動物で、帰ってくるなりドカリと足の上に座り込み、風呂のときすら非常識にドアをこじあけ濡れたからだに毛をすりつけてくる(これはあまりしないでほしい)
猫がいるので、ふたりを気遣うあまり、家でせかせかとなにも出来ず、大抵ごろりとしている。電気つけたら眩しいかな、とか、今動いたらゆっくり寝られないだろう、とか。それは猫があれもこれもとせかせかしている自分への気遣いかもしれない。休ませてくれてありがとう、天使。
黒猫の敬二は隙あらばビニール袋をかじってしまう猫で気安くビニールは放置できないのだが、その趣向のせいか肌に塗ったクリームを舐めるのも好きで、なにかそういう化学的な味が好きなこなのかなあと心配している。
そのこととアロマに凝ってることもあり、肌にはもう植物性の油しか塗らなくなった。
でも自分もかじっていたね、プラスチックの鉛筆キャップ。ゲルインクペンのおしりをインクが口に入るぎりぎりまで吸い、失敗して口が血のり噛んだみたいになった。
小さい頃は、考えるとよくあんなもの口に入れてたなというものまで口にしていた。
団地住みの男の先輩は、小さいころは歩いているアリをつまんで食べてたと言ってた。先輩はそれがなぜか団地あるあるだと言っていた。そうですか?地面に動いている虫を食おうと思うのは頭がおかしいなと思ったけど、葉っぱや花はよく食べてた気がする。
あとじいさんに騙されて、つばきの実が栗みたいだねと言ったら栗みたいに食べれるじゃて、うんめえよ。ほっぺたおちんよ。と言われ、三番目の兄と庭で焼いて食ったら体験したことないエグみに二人で顔を歪め、悶絶してるのをじいさんがみて笑っていた。あのじじい、、、。
よるがすきだから、ねむくてもよる起きてなにかしていたい。
あさもすきだけど。まぁひるもすきだな。日が落ちるときも耐え難いムズムズを感じるし。今夜は星が綺麗だったし。
とどのつまりいつだってぶるぶるとただの空気に感激するときがある。
この前ある人と、人には陰と陽の人がいるね。と話した。
私は絶対に月の人間なので、太陽に憧れる。
夜は朝が待ち遠しい。楽しいときも光が待ち遠しいし、苦しいときはより一層。
そういう太陽の人が眠いな疲れたなと思ったときに、ココアでも出して寝かせる余裕くらい欲しい。それが月のわたしのやることだと常日頃思う。
映画「恋人たち」を観て思ったこともそういうことで、太陽のひとたちありがとう。月のわたしも自分の星でやれることをやります。と感謝して誓った。
夜があるから朝が眩しい。
生活のくすり
先週彼のために香水を買いに行ったのだが自分も気に入って結局買ってしまった。
全然香水に詳しくはないけど、最近アロマを独学で始めたので嗅いでいると、あ、これはネロリだな。とか簡単なことがわかるようになった。
「夜」や「ベッド」だったり、情熱的な名前のものは大抵イランイランやジャスミンの香りがするのがわかる、感激。と同時に安直な気がしてそういうのを買うことに萎えてしまったり。
そのものの作用や意味がわかると、面白くなったり面白くなくなっちゃったりすることに改めて気づく。
夏前に大学で星の王子様に出てくるきつねの話を聞いた。
きつねは王子様に俺を飼い慣らしてくれと頼み、習慣の大事さを語る。
『例えばさ、午後の4時にきみが来るとすると、午後の3時にはおれはもう嬉しくなる。時間がたつにつれて、おれはいよいよ嬉しくなる。4時になったら、もう気もそぞろだよ。幸福っていうのがどんなことかわかる!でもきみの来る時間がわかってないと、何時に心の準備をすればいいかわからない……習慣にすることが大事なのさ』
わかっていることにはわかっていることの幸福がある
泣けるシチュエーションで泣く楽しさ、気楽さ。
平日あって土日が輝く
昔はバニラやムスクなんて甘い香りは甘ったれな気がして好きじゃなかったけど、最近はとても好きになった。多分本当のバニラを知らなかっただけだった。
精製されてない砂糖は少し苦い。ほんとのバニラも少し苦い。植物は苦い。
結局サンダルウッドとバニラをベースにした香りを2つ買った。
サンダルウッドのほうは少し苦い香りがして、色もシアン。
セーターとコーヒーって感じだった。
ずっと迷っていたのが「セロファンの夜」という名前の香水で、金木犀の香りがする。
結局、お店の人が5、6月の香りのイメージですと言っていたのでやめたけど、金木犀って秋だよなあと帰ってから考えてた。フランスでは違うのだろうか?
未練がましく見ていたらサンプルをくれて感激した。さすが有名百貨店である。
たまに寝るときまでつけて寝る。
香りは瞬間に自分のイメージを自分で変えたことを感じられる。
くちゃくちゃのグレーのコットンのシーツもサテンのようである。姫のように寝る。
アロマはとても薬学的だしメディカルだけど、気の持ちよう的な寛大さ、いい加減さを兼ね備えているところが好きだ。
ミントがすーっとするのはメントールのせい
そういう薬用成分が浸透することはもちろんだけど、やはり嗅ぐことに意義がある。
嗅ぐと脳が刺激されるので、なんかなおったきがする
前のめりになりやすい人には特に、ゆっくり考える時間ができる。
なんかなんとかな気がするわってふわふわの要因をつかんで
あほに暮らせる道具が精油というすばらしい自然からの贈り物である。
他人の興奮
7月24日、渋谷のStar lougeのKahn&Neekのイベントで写真を撮りました。
この部屋全体が呼吸と鼓動をしているように空気が震えている。
私は耳が少し悪いから、あのロッカールームみたいなスピーカーの真ん前にいくと、ちょっと耳が痛い。
酸欠気味の赤い箱からふらふらとハンズ前に出てくると、ケバブを食べながらゴロゴロしてる男の子たちがいて、この箱の中と街が繋がっていることにちょっと感激する。
明るいところでみると(まあそれも薄暗い路上だけど)
みんなこんな格好してたんだな、そんな表情してたのか
いつもずっとこのままで終わりたくないけど
終わって家に帰ると死ぬほど安心するな
身体がぴったり布団に吸い付く。
いつもの布団が雲みたいに気持ちいいから
この安堵のために夜中出かけてるんじゃないかと毎度思うな
やりたいことは沢山あるけど、今はとりあえず欲望のままに寝てしまおう。
他人の興奮を自分も味わいたいという欲望がいつも心にあります。
ほとんど毎週末夜中都心に出かけるようになってかれこれ1年少し。
駅や道にゲリラ的に展示がしたいと思って、ストリートに興味を持ちました。
そこにいる人たちに触れて話したいと願ってたら良い人に巡り合えて、いつの間にか1年経ったなー
1年の間の、ほんの一部の話だけど、グラフィティのことが少しわかるようになって、街の見え方が変わった。一見汚い街に喜びと楽しみがある、密かな。
少し上を見る、下も見る、横もみる
自分だったらどうするか、知らない人の気持ちになる
前より深刻に美術に対しての疑問が生まれて、疑問があるから解きたくなるけど
まだ知らぬ感覚を増やしてくれること、ものの見方を変えてくれるものが基本的にはアートの本質だろうと感じます。
他人の興味に興味が湧く感じは、共感とはまた違う感覚で、同じ仲間になれるわけじゃないんだけど、ある人が言っていたように、常にストレンジャーであり続けるのが自分らしいのかもなと思います。
また今週末どこかで!
hana