時計をスクラッチ

最近はもうどうでもよくなった。

正確に言えば、どうでもいいと思うように思うようにしている。

 

なかなかできないことは、形からはいるように

運動するときジャージを着る、みたいな気持ちで。

 

 

Penの歌謡曲特集を読んだ。

読んだっていっても、さらさらと読んだ。いつもそうだ。

 

松本隆のインタビューが面白かった。

90年代に意識的に筆を置いたこと、その理由について簡潔に語られている。

色々納得したけれど、

 

自分と時代があわないとき、無理にがんばったってすり減るだけなんだ。

 

というようなことが書いてあって、はっは〜ん、と鼻を鳴らした。

 

 

時代

 

を考えるときはいつでも

 

思い浮かべるシーンがいくつかある。あの時代、この時代。

 

1991年に産まれた私たちが考える時代ではなく、私の個人的な時代を考える。

 

上京して大学に入ってきたとき、ゆらゆら帝国が解散したばかりだったので、自己紹介のときにゆらゆら帝国の話をした。「自分の好物はあんこでね」なんて話すように、自然に話ができた。顔にいつでも靄がかかっているように、とろりと18までを過ごしてきたけど、はじめて空から光が差しているように思えた。4月3日に引っ越してきた日、オシリペンペンズをはじめてUFO clubに観に行って、終わってもスピーカーの前でDJを聴いていたら、はじめて東京で、女の人の友達ができた。一つ上で、隣町で、嬉しかった。それだって水を飲むみたいに自然に出来た。

 

思うことが自然にできるなんてそれまで思っていなかったので

ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけていたのである。おほほ。

 

この前静岡に帰ったとき、とても懐かしく思った。

確実に当時よりも穏やかな気持ちで町を歩けている。住めるような気さえしている。

 

それなのに何故か右手と右足を同時に出して歩いてしまうような、息詰まる気持ちがあった。どこか緊張してしまうのだ。

やはり東京の自分の家に帰りたい。帰って人目を憚るような映画でも観たい。

 

特にそれが、通っていた美術予備校に行ったときに感じた。

 

私は中学1年生から3年までそこで夜の児童部という怪しげで素敵な名前のお絵描き教室に通い、高3の1年間は受験部に通い、随分お世話になった。恥ずかしいことも楽しいことも切ないこともある。あるとき学期末の懇親会に持って行った作りたてのミルクレープを大掃除で古いものと間違えられてホールで捨てられたとき、悲しかった。笑い話である。

 

悲しかったことを思い出して、悲しさがまるでもうなくて、いい思い出になってしまうのは、面白い。何故かエモい、中身はないのに。

 

いつだか、ここはもう私の帰ってくる場所ではないのだ、と感じたときがあった。

 

それでも昔の出来事は変わらないから、避けることもないと思って帰ってみるのだが、なんとなく自分は芯のところは変わっていないのに、変わってしまったような気持ちになる。

 

きっとどちらも少しずつ変わっている

その時代、そのときの私が居た点は、今も変わらずあるだろう。

戻れないからただ単に遠くみえているだけかもしれない。

 

この話を人にすると、「居場所がない」という話になるけれど、私は別に帰る場所がなくったって構わない。帰る場所なんかないと思う。

 

ああなんか疲れるな、あわないな、と思うことはほとんど毎日だが

だからといって自分が好きなものだけで毎日を生きていくことができないことはもうわかった。ネットが普及して、知らなくてよかったことも耳に目に入る病んだ時代だというけれど、別に昔だってそうだった。病んだ事実はいつでも側にある。

 

いつか時代と自分の交わりに立つとき、そのとき、心地よく感じるかもしれない。

ここが自分の居場所みたいに思うかもしれない。

 

 

〜せねばならない ということはないような気がする。

 

 

時計をスクラッチして元に戻してみても、いつかまた針が戻って来る。

なので気楽に待とう。ナイフを磨いて。